働きたくない気持ちと働きたい気持ちとあって矛盾しまくりのまま生かされているというお話
こんにちは、ユウキです。
今回は働きたくない気持ちと働きたい気持ちとあって矛盾している自分に気付いたので記事にしてみます。
働いているとき、そのときはしんどい気持ちが強くなります。一つの出来事に対して異常に喜んだり、異常に悲しんだり、一喜一憂しています。そのため、よくないことが連続で続くと気持ちが滅入ってしまい、やめたいという気持ちが滅茶苦茶強くなります。謎の気持ちですね~。
逆に実際にやめたとき、最初はお仕事から解放された気持ちに浸って、滅茶苦茶最高の気分になるんですが、、、日に日に気分が重くなっていきます。まるで夏休みの最終日が毎日続く感覚です。今の時代コロナ禍ということもあって、自由に出かけることもできない世の中、大学のときの友人や先生たちと会いたいと思っても気軽に行けない日々です。。。
結局のところ、働いているときほど、働きたくないという気持ちが強くなります。仕事をやめたいってなるんですよね~。そして、いざ仕事をやめたときは働きたいなという気持ちが強くなります。最高に矛盾しています。
しかし、こういうことを話すと「そんなのみんな同じだ」って怒られるんですよね(笑)
「誰もやりたくないことをやっているからお金を貰っているんだよ!!」と言われて納得している部分もあります。ただ、お仕事をすぐやめてしまうボクからしたら、何故続けられるのか、不思議に思うときがあるんですよね~。
ボクが思う仕事を続けられている人のイメージになりますが、、、
- お仕事はやりたくないものの、その中で好きな部分や興味のある部分がある。又は仕事を続けていくうちに見つかった。
- 自分が無心でやれて、人を喜ばせる仕事がたまたま今やっている仕事だった
この2つだと考えています。
ボク自身が今までやってきたことでお仕事以外で当てはめてみました。
☆お仕事はやりたくないものの、その中で好きな部分や興味のある部分がある。又は仕事を続けていくうちに見つかった。
陸上競技の練習、走り込みの練習は嫌いではあったものの、走り込んでいくうちに好きになっていきました。だからといって、全ての走り込みの練習が好きになったわけではなく、何度もやりたくないなという気持ちになったものの、なんやかんやしっかりと準備して走っていたなという感じですね~。それこそ、高校生のときは走りたくはなかったものの、陸上競技のおかげで入れた高校だったので使命感に追われて走ってたのかもしれません。
☆自分が無心でやれて、人を喜ばせる仕事がたまたま今やっている仕事だった
無心でやれること、、、それはもしかしたら今やっているブログを書くことかもしれません。こうやって自分自身が思ったことを情報発信したことで、周りを喜ばせることができているかと言われたら怪しい所ではありますけどね💦ただ、こういうの作りたいなと思うものがあると不思議と作り始めます。動画編集も、文章作成も、資料作成も、まるで狂ってしまったかのようにパソコンと向き合い、作成します。
テクノロジーを使ったものづくり、情報発信が無心でやれることなのかもしれません。
当てはめてみると、案外自分にもやれることはあるじゃん!!と思えてきましたね。また、市内や県内のボランティアで手伝っていることにも夢中になって取り組みます。ボク自身に合うお仕事はあるとまだ希望を持つことができます。
「仕事なんて選ぶんじゃない、選ぶ立場ではないだろ?」と言われるとその通りです。しかし、発達障がい者の人の心は繊細で些細なことで挫折してしまいます。それよりなら、自分のやりたいことをしっかりと見つけて、ストレスなく自分のペースで出来る仕事があると才能が少しずつ開花すると思います。
また、就職活動をして、会社の業務内容に対して良いイメージだけを想像しすぎて入社して、その後やりたいこととやっていることのギャップに苦しんでしまいます。そして、すぐにやめます。続けていたらもしかしたらやりたかったことができたかもしれないのに…。もったいないですね。
それでも、発達障がい者の人からしたら、そのギャップに対して非常に強いストレスを覚えてしまうこともあります。無理して働いても二次障害を引き起こすリスクが高いです。ボクは適応障害に近い状態に陥ってやめることを決断しました。
自己中心的でワガママな発達障がい者のボク、今現在の自分自身が感じている矛盾と少しずつ向き合っています。もしかしたら、既に答えは見つかっているのに気づいていなだけなのかもしれませんね。。。まだ、働くことに対して見えていないことがたくさんありますが、足掻いて挑戦して見つけていきたいと思います!!